■PICT■
  • しまし
  • 千代崎
  • 剣野
  • 悠汰
  • ヨシキタ

■TEXT■
  • 樂 來花
  • 千代崎
  • 遠江 朔鵺
  • もちみ
  • りお

  • コメントページ


Reset


Return to TOP






 ………覚えていますか?

 男の中ではその言葉が幾度も幾度も反芻していた。
 何万回と繰り返したか知れないその言葉。
 短く切り後ろに流した髪の毛を、撫で付けるように、はたまた瞼の奥から溢れてきそうな何かを後ろへ押しやるように後ろへかきあげながら、答えの出ないその問いをまた彼は繰り返すのであった。

 チリン。どれだけの時間思案に耽っていたのか、胸元で鳴った涼やかな音に現実に引き戻された。
 時は冬、誰も訪うことの無い、下界の端の小さな東屋。
 氷のように冷えきった手の中にあるのは、小さくて四角い、金糸の刺繍が施された鮮やかな赤の一つの袋。

 ……覚えて、いますか?

 その言葉だけが、ぐるぐると頭の中で回り続けている。



君だけが生き残った世界で

by りお



「覚えていますか?」

 最後にそう問われた時、真っ先に頭に浮かんだのは、今も軍服の内ポケットに縫い付けてある小さな袋だった。
 上官にある日突然渡されたそれは、下界でいう、"御守り"と言うものらしい。
 鮮やかなサラサラとした手触りの小袋に、キラキラと輝く金糸銀糸で花模様が描かれ、袋には大きく「無病息災」の四文字。
 八の字のようにも、三つ葉のクローバーのようにも見える小さな結び目が袋の口元にあり、その結びの白紐には小さな金の鈴が1つ、輝きを放っていた。
 チリン、紐をつまんで持ち上げると、澄んだ音色が手の中で鳴り響く。
 これは何かと問えば、先日アーティスティック収集で下界に降りた際の土産だという。
 下界では、人は神社仏閣に神頼みに行き、その恩寵を常にその身の傍らに置いておくべく、この小さな袋を持ち歩くらしい。

「知っていますか捲簾、その結び、二重叶結びって言うんですよ」

「結び」とは古来より「産霊(むすび)」であり、天地万物を産み出すことを「むすび」と下界では言うらしい。生命の根源を意味する「むすび」は、紐で結ぶことによって、御守りへ、いつも持つ人の身に利があるようにと霊力を込められ生み出されたそう。
 鈴には、邪気を払い清める力が宿っているのだとか。
 あっ、あと御守りは、自分で買うよりも誰かに贈られたものの方が御利益が上がるそうです。とも付け足して、天蓬は言った。
「結び目の、丁度八の字の重なる部分を見てください。紐が、表面が"口"、裏面が"十"になっていますよね? 合わせて叶。で、二重叶結びと言うそうです。縁起物ってやつですね」
「ふーん?」
「捲簾はなにか叶えたい事、ありますか?」
「俺? 俺ねぇ………」

 悩んでみても、地位を約束されている自分たちは望めば大抵のものは手に入る。
 不死とまではいかなくても、不老長寿と呼ぶにふさわしい、永久に近い年月も持ち合わせている。
 望み。これ以上なにか望むことがあるとするならば、なんなのだろう。

「なんだろーね、なんかこう……別に俺は今の日々に別段不満を抱いている訳でもないし。お前と美味い煙草が吸えりゃ、それで充分」
「…そうですねぇ。あ、でも何か願い事が出来たら、だれにも告げず、そっとその御守りへお願いしてみたらいいかも知れませんよ」

 まぁこれ、無病息災の御守りなんですけどね。そう笑った天蓬の目元が、なんだか優しく暖かだったのを、やけに覚えている。
 そう、あの日までは、そんな日々がずっと続くのだと思っていた。

…

………

……………

「……またせ、しました……」

 確かに見えない筈の自分を、彼は見て微笑んだ。
 傍目から見ても助かるはずもない状況。あと僅かで、尽きるだけの生命の灯火。
 一足先に彼岸へと川をまたいだ自分が見に来てみれば、これである。
 自分が見えるということは、もう彼もその歩みの殆どを、彼岸へと進めていたらしい。

『………覚えてるか?』

 ――はい?
 それは彼が問いかけた問い。
 今度は捲簾が問いかけると、あの日あの時と同じ優しい眼差しで、彼は微笑んだ。
 傍らにしゃがみこみ、もうある筈もない自身の軍服の胸ポケットから、小さな袋を取り出す。
 チリン。鳴るはずもない鈴の音が、鳴ったような気がした。

『お前さ、俺に言ったよな。"願い事が出来たら願ってみれば"ってさ。俺使わねーまま終わっちまうとこだったけど、今、この場で使うわ』

 そう言って捲簾は、御守りの結び目から伸びる白い紐を天蓬の首へ、そっとかけた。

『また後でって言ったけど、やっぱあれナシな。お前も生きろ。こっちには連れていけねぇ。生きて、せめて1人でも多く、あいつらのそばにいてやれ』

 無病息災の御守りだしな、丁度いいだろ? そう言うと天蓬は驚いたように少し目を見開き、なぜ、と問うように捲簾を見つめた。
 微かに動いた唇は、もしかしたら自分の名前を呼んだのかもしれない。

 じゃ。
 そう言って微笑み彼に背を向け、捲簾は歩き出した。そう、これでいいのだ。あいつと一緒にいたいなんてただのエゴで、生きられるなら生きていて欲しい。
 どうせ永久の時は生きても死んでも、天界人である自分たちにとってはたぶんどちらでもさして変わらぬもの。
 ただ自分は彼岸の川を跨ぎ、その先でいつかあいつが来るのを、酒を飲みながら待つだけの話なのである。

 ………覚えていますか?

 覚えている。交わした酒も、言葉も、一緒に訪れた地も。覚えているし、忘れもしない。
 下界の詩句の書物を読んだ夜。叶うならばこんな死に方をしたいものだと、笑いあったあの詩も。

 願わくば……

『桜の下にて、春死なむ。ってな。また来るぜ、天蓬』

…

……

…………

『……覚えていますとも』

 短く切った髪をかきあげて、男は言った。
 パリッとしたシャツを着て、清潔的に髪を切り。書物どころか最低限の必需品しかない質素な東屋で暮らすこんな姿を、生前の彼が見たらなんと言っただろうか。

「願わくば、桜の下にて、春死なむ。その望月の如月の頃」

 叶うならば桜の下で。春の頃に逝くのが良い。
 下界の詩句を嗜んだあの日。下界の桜が好きだと笑う彼は、こんな死に方がしたいものだと言った。
 そんな彼は、桜が舞い吹雪く中、彼岸へと旅立った。
 自分だけ、願望通り逝きたい時に逝きやがって。と半ば悪態をつきつつも、下界に降り、少ない命の砂が零れる音を聞きながら日々を過ごしたのは、彼が最後に自分の生を願ったからで……。
 下界の端。五行山が遠く見えるこの場所で、自身は最後の時が潰える足音を聞いている。

「……悟空、すみませんね。僕ももう時間のようです」

 気がつけば下界にいて、金蝉や悟空の行く末を知ったのはあの日から数えて幾年も過ぎた後。  あの小さな太陽が長い長い時をあの中で過ごしていると知った時にはもう、身体に老いはなくとも、もうこの世に自分が居ることを許されたタイムリミットはすぐそこまで訪れてしまっていた。
 せめてと残された時間を遠くから見守りつつ、もう自分も、捲簾たちの元へと旅立つ時が来たようである。

「……久に経て、わが後の世を問へよ松。跡しのぶべき、人もなき身ぞ」

 天蓬がこの下界の片隅に居を構えたもう一つの理由。
 烏が両翼を広げたような、大きな松の木がある。松。待つ。
 任務以外で下界に降りる時の、2人だけの待ち合わせの場所。

「…あなたは、また迎えに来てくれるのでしょうか? 貴方言いましたよね。覚えていますか、捲簾…」

 チリン。小さな御守り袋を、松の小枝に結びつける。
 色褪せ草臥れた小さな小袋に、1つついた鈴が夕日に照らされてやけに輝いて見えた。
 ――松よ、私よりも長生きして看取っておくれ。私にはもう、偲んでくれる人のない身なのだから。

「金蝉、すみません。悟空ひとりを、残してしまいます。捲簾、あなたの言うように、私はあの子の傍にいてやることは出来ませんでした……」

 1人あの子を残して、貴方達の元へと行く私を、どうか許して欲しい。

 君だけが生き残った世界で、1人岩牢の中から見る世界はきっと、ひどく寂しいのだろう。

 君だけが生き残った世界で。
 願わくば、もし、もしも来世があるのなら、また君の傍に……君たちの傍に、いられますよう。

「…お願いは、一度きりですか?」

 捲簾が残した、小枝の御守り袋にほほ笑みかける。
 八の字の結び目のように、めぐり巡ってまた自分たちの運命が重なるよう。
 表結びの口の字のように、また四本の線が合わさるよう。
 チリン。二重叶結びのその小袋は、あと一度だけいいよと、微笑んでくれた気がした。

【END】
 

▲ページ上部に戻る